石井俊匡監督による、『
86―エイティシックス―』23話(最終話)が放送されました。
いやはや、めっちゃ良かったです。最後の感動ヤバイですねこれ。
アマプラでぜんぶ観られるので、まだの人はぜひ一話から観てほしいですね。(そのうち最終話も追加されるはず)
以前の記事で、エイティシックスは実はアニメ(映像)向きではないのでは、と書きました。
この物語は、構造的に小説で読んだほうがおもしろいのでは? と。
正直なところ、けっこう不安はありました。
主人公のシンがわりと寡黙で、敵が人格を持たないAIということから、映像でドラマを表現するのが難しいと思ったんですね。
原作ではシンのお兄ちゃんとかキリヤとかが擬似人格を保持した敵として登場しますが、結局は擬似人格なので、戦闘などを通じて和解するとか仲間になるとか、そういう発展的なスカッとした流れにはならない。
あくまでも主人公たちを痛めつける存在(過去のトラウマを刺激する存在)としてのみ存在するので、主人公の内面描写ができる小説のほうがおもしろくなりやすい。
映像だとかなり表現が難しかったはずです。
一話からリアルタイムで観ていて驚いたのが、このアニメ、
モノローグやナレーションがないんですよね。
こういう設定が入り組んだ作品の場合、ガンダムでもコードギアスでもそうなんですが、ふつうは冒頭にナレーションを入れたり、一話のどこかで説明的なモノローグを入れて、世界設定や主人公の置かれた状況を説明するのが定跡なんです。
コードギアスなんて、一話ごとにC.C.の声で冒頭にナレーション入れてましたからね。この世界がどうなっているのか、主人公の目的はなんなのかを、数十秒でさらっとナレーションで言っちゃったほうがわかりやすい。
ナレーションは嘘を言わないので、観ているほうは安心できるんです。
同様に、
キャラの心の声(モノローグ)や独り言も基本的に嘘をつかないので、説明するのに都合がいい。
しかしアニメのエイティシックスでは、その手の安心できる手法を使わないで世界を見せようとしています。
ほとんど唯一、最終話である23話で、シンが亡き兄や仲間たちに向けて心の声で別れを告げるシーンがあります。
これはあきらかに意図的で、この物語はつまるところシンが自分の気持ちにケリをつけて前に進む話だったと言える。
自分は原作を読んでいたので混乱はなかったのですが、ネットの感想などを見ると、どうも一話で世界設定を呑み込みづらかった視聴者もいたようです。
作中のキャラたちが、86と呼ばれる被差別民たちを指して、「あれは無人機」とか「人ではない」などと言っているので、視聴者としてはちょっと混乱するんですよね。「無人機のAIが人格を持った話なのか?」というような。
キャラ同士の会話では嘘をついたり、本音を隠したりするので、視聴者は台詞だけではなく表情とか演出意図を読みとってそれを見抜く必要があるのですが、そもそも映像をあまり見慣れない視聴者はそういう発想がない。
たとえば、「本音を隠す」という演出意図で、口元を物で隠したり、口元だけを画面外にだして唇の動きを視聴者に見せない、という手法がとられることがあります。多くの場合、目つきも会話相手を見ないで逸らしたりして。
こういう画面のときは、
そのキャラは本当のことを言ってない、ということになるのですが、これも知らないとわからないわけです。視聴者はそれが本音だと思ってしまうかもしれない。
よく、
日本のテレビドラマは顔のアップで台詞で説明してばかりでつまらない、と批判されますが、これはなにも日本に限ったことではなく、海外でも同様のようです。
映像で伝える、というのは観ているほうがちゃんとそういう意図を読みとろうとしないと意味不明になってしまうので、視聴者を選ぶんですよね。
台詞で本音だけを言わせたほうが誤解が起きづらいのだから、そういう映像が中心になるのはむべなるかな。
しかしエイティシックスでは、台詞ではなく、かなりのところを映像で伝えようとしている。
しかも設定的に、主人公のシンとヒロインのレーナは最終話まで顔を合わせず、声だけで交流するので、ふつうならもっと声のみでもわかりやすいような作りにしそうなものですが……映像の力で伝えようという方向に演出を振るのはかなり勇気がいることだと思います。
正直なところ、自分はシリーズの途中まで、やや作りがストイックすぎるのではないかと思って観ていました。
全話通じて石井監督がコンテに大量に手を入れているはずです。
A-1 PicturesやCloverWorksの作品のなかには、監督がぜんぶを仕切るというより、各話演出やアニメーターがわりと自由にやっている作品も少なくない印象なのですが(たとえば石井さんも演出として参加した『
Fate/Grand Order 絶対魔獣戦線バビロニア』などは一話ごとに演出の方向性がかなり違った)、エイティシックスについては
全話通じてほぼ完璧に石井監督のフィルムになっている。作画の乱れは一部あっても、演出の方向が石井さんらしくない、というところがないんです。
それは驚異的なことなのですが、その一方で、これは初見の人にとってはハイブロウでハードルが高いのではないか、という不安もないではない。
自分みたいに以前から石井演出を観ている人はいいのですが、ここまで演出的に無駄がなく、集中力が求められる映画的な作りだと、ついていくのがしんどい人がいるんじゃないかと。
エイティシックスのアニメが興行的にどうなっているのか自分は知らないのですが。
逆に言えば、最後までついていった人は完全に石井演出に染まりきっているので、ラストの感動は凄いものになります。
当初はこのアニメ、原作が人気シリーズということと、音楽が澤野弘之さんということで注目されていたのですが、回を追うごとにどんどん演出を絶讃する声が増えていきました。
公式ラジオでも、声優さんたちがよく演出について言及しているのですが、ふつうここまで演者が演出について取り上げることってないですよね。
作画を褒めたり、あのシーンが良かった、という褒め方を通常するのですが、「あそこの演出が」とか「石井監督の演出が」いう声が演者からも視聴者からも何度も上がるのは、かなり異例です。
僕も何年も前からずっと石井演出を取り上げているから他人のことを言えないのですが、とにかく語りたくなるんですよね。
『僕だけがいない街』の記事と
『四月は君の嘘』の記事で石井さんについて書いたときから、
日本のアニメ業界は今後三十年は安泰だと思っていたのですが、本当に異常なぐらい演出がうまい。うますぎる。
これ以上うまくなっちゃって大丈夫かしら、と余計な心配がわいてくるくらい。
うまく言えないのですが、どんな天才でも、このレベルのものを毎回作ろうとしたら、いろいろとすり減らすんじゃないか。
いや、思いきり余計なお世話でしょうが。
こうして見事なまでにテレビシリーズを成功させて、おそらくこれをきっかけに、国内外にその名前が知れ渡るようになると思います。
東映でワンピースの演出をして注目されている
石谷恵さんみたいに、海外人気のほうからまず高くなるかもしれない。
石井監督の新しいテレビアニメや劇場アニメを早く観たいし、とくにオリジナルを観たい。
とにかくいい環境で無理せず仕事を続けて欲しいなぁ、とファンとしては思います。