アニメ関係者のツイートを見ていたら、「一蘭」がどうのカメラ位置がどうのという話が急に出てきて、なんのことかと思ったら、
望月智充さんの
このツイートがきっかけのようでした。
リプ欄を見てみると、否定的な意見も多いようですね。
「自由なカメラアングルが設定できるのがアニメのいいところなのに」という趣旨の意見です。
望月さんのツイート見て、まっさきに頭に浮かんだのは鳥海永行さんのことです。
たしか
『「イノセンス」 METHODS 押井守演出ノート』で押井さんが述べておられたと思うのですが、押井さんの師匠の鳥海さんは、「アニメ演出においても、実写で置けない位置にカメラを置くな」というご意見だったようです。
押井さんは師匠のその意見に賛成しつつも、自分はどうしても変わった位置にカメラを置いてしまうときがある、と述べておられたように思います。(すみません、本が家のどこかに
埋没してしまってるので記憶で書いてます)
押井さんはべつのところで、「そのアニメがリアルに感じられるか否かは、現実に見える世界との近似性というより、実写映画にどれだけ近いかに関わってくる」という趣旨のことも仰っていました。(
パト2のMETHODSだったかな?)
おそらく鳥海さんや望月さんは、実写のアングルに寄せることでリアリティを増そうと考えてらしたのだと思います。
実写ではありえない位置にカメラを置いてレイアウトを起こすと、視聴者のなかに「違和感」が生じてしまう可能性があり、その瞬間に映像になんらかの「意味」が発生してしまいます。
「どうしてこんなアングルなんだろう」とほんのわずかにでも視聴者が思っただけで、演出意図外の解釈が発生してしまうかもしれないわけですね。
演出によっては、あえて変わったアングルをとることで視聴者に「発見」を促すこともありますが、なんでもない食事シーンでそれをやる意味はない。
物語上どうしてもそこの舞台でなければいけないなら、無理にでも変わったアングルをとるしかありませんが、舞台設定を自由に変更できるのもアニメのいいところです。(実写だとセットの予算とかロケ地の許可とかありますから)
実写でも実相寺昭雄監督のようにエキセントリックなアングルをとる人はいますが、それは全編通してそういうアングルを採用しているからよいのであって、いきなり特定のシーンで変わったアングルが出てきたらそこに余計な意味が発生してしまう。
ドラマに集中させるためには「ふつう」のアングルが必要で、それはアニメでも実写でも標準的なカメラ位置を念頭におきながら演出したほうがよい、ということなのだと思います。
「ふつう」ができるからこそ、ここぞというときの変わったアングルも活きてくる。
望月さんも、アニメのOPなどでは実写でできない演出も多くされています。
「
きまぐれオレンジ★ロード」の一連のオープニングなんかが有名ですね。(ワンカット風に撮ったものなど、実写では到底できない)

というか、望月さんに対して「頭固い」とか言っている人たち、望月さんが過去にどれだけ実験的な表現をしてきた人なのかわかっているんだろうか。
庵野秀明・幾原邦彦・新房昭之といった諸氏よりも先に、アニメならではのスタイリッシュな映像をやっていた開拓者ですよ。