ここ数年、小説の新しい技法を自分なりに研究しています。
こちらのページにいろいろと技法をまとめてありますが、なかにはうまくいかなかった技法もあります。
たとえばこんなものです。
仮に、「人名ルビ法」を名づけていたものです。

ルビを使って、発話者がだれであるか一目でわかるようにするのが目的だったのですが……
ご覧いただくとおわかりかとおもいますが、漢字の名前のルビをふると、非常に見づらくなってしまいます。
なので、作品のなかではまだ使っておりません。
最近の本は印刷技術の向上でかなりルビが読みやすくなっていますので、製本すればもうちょっと見やすくなるかもしれません。
また、ファンタジー作品などでキャラ名がすべてカタカナである場合は、ルビがもっと読みやすくなるので使えるようになるかもしれません。
いっとき、ルビのふりかたに活路を見いだそうとしていたことがありました。
ルビというものは日本語表現独特のものといってもいいと思います。
江戸時代の黄表紙などの戯作にも当て字や熟字訓などが多く使われておりますし、明治以降の文学でもそうでした。
たとえば里見弴の作品には独特のルビが豊富に見られますし、漱石からして奔放な当て字や熟字訓には事欠きません。
通常、ルビは文字の右側にふられますが、昔の本などでは右側と左側の両側にちがうルビがふられていたりすることもあったそうです。
現代の小説では、秋津透さんの「ルナ・ヴァルガー」シリーズ、古野まほろさんの「天帝」シリーズをはじめとする諸作に、非常に豊富なルビの使い方が見られますし、斜塔乖離さんの「ディアヴロの茶飯事」もそうでした。
それらの作品を読んでみて、もうルビで新しい挑戦をするのは難しいと思い、ルビに凝ることをやめました。
自分の好みがマニエリスム的な方向から、よりシンプルな方向を目指すようになったという理由もあります。
しかしルビという方法が日本独特の、作品に華々しい色を添える強力な技法の一つであるという認識は変わっていません。
ここ一番で映えるルビの使用方法を、これからも考えていきたいと思います。