アニメにおけるスカートの演出について、ちょっと思ったことを。
「宮崎駿の世界」という本がありまして、そのなかでプロデューサーの鈴木敏夫さんと映画監督の石井克人さんの対談があります。
そこで、近藤喜文監督の「
耳をすませば」について、鈴木敏夫さんが興味深いことを仰っていたので、以下に引用します。
――――――――――――――――――――――――――――――
地球屋という店が出てきて、雫が猫のムーンと一緒に壁にもたれながら、床にへたりこむというシーン。絵コンテだと、へなへなっとへたりこむんです。もちろん、誰の目も一切気にしない。ところが近藤喜文が何をやったかというと――。雫は中学生でスカートが短いんですね。だからへたり込む時に、スカートを折りたたむんです。それで、脚を揃えてパンツが見えないように座るんですよ。もし、あの演出を宮さんがやっていたら、確実にパンツが見えちゃうんですよね。
これを見ていると、面白いことが解るんですよ。宮さんがやっていたら、快活な女の子がパッとへたり込んだようにしか見えない。ところがその子は、すごく気にしながら座るでしょ。やたらエッチなんですよ。
――「宮崎駿の世界」012P――
――――――――――――――――――――――――――――――
これは、以下のシーンですね。




監督は近藤喜文さんですが、脚本・絵コンテは宮崎駿さんがされています。
鈴木敏夫さんいわく、宮崎さんの絵コンテでは、雫はスカートを折りたたまずにへたりこむように描かれていたようです。
上記引用画像を見ると、それだとまちがいなくパンツが見えちゃいますね。
近藤監督の判断で、スカートを折りたたむようになったとのことです。
このことについては、宮崎駿監督も「
続・風の帰る場所」に収められているインタビューで、間接的におっしゃっています。
――――――――――――――――――――――――――――――
「(略)たとえば『耳をすませば』の時は絵コンテまで切ってますけど、全然違う映画になってますね。キャラクターの挙動によって、性格まで違ってくるんです。(略)」
――「続・風の帰る場所」102P――
――――――――――――――――――――――――――――――
しかしここで注目すべきは、鈴木敏夫さんが、「宮さんがやっていたら、快活な女の子がパッとへたり込んだようにしか見えない。ところがその子は、すごく気にしながら座るでしょ。やたらエッチなんですよ。」と仰っていることです。
この意見を見て、はっとしました。
たしかに、人目を気にしてパンツを隠すようなしぐさをすると、その女の子は他人の目(性的な視線)を気にしているということになりますから、色気が感じられます。
宮崎アニメでは、女の子がパンツを気にする描写はあまり見られません。
魔女の宅急便などが代表的ですが、思いきりパンツを見せて飛んでいます。
性的なことにあまり頓着していない(ように見える)のです。
これは宮崎アニメの特徴の一つだと思いますし、ナウシカなどの「戦うヒロイン」という存在とも関係していると思われます。
ジェンダー論の観点からも語ることができるでしょう。
この鈴木敏夫さんの意見を見て、ふと思い起こしたのは、アニメでときおり見られる以下のような表現でした。
・アイドルマスター シンデレラガールズ 18話(監督=高雄統子/絵コンテ・演出=岡本学)

一番右にすわっている「双葉杏」という女の子は、スカートを手でおさえておりませんが、なぜかスカートは重力にさからうように持ちあがり、
パンツを隠しています。リアリズムの観点からすると不自然です。
ほかのアニメでもときおり、このように不自然にスカートが持ちあがってパンツを隠す表現が見られます。
昔から僕は、「パンチラさせない方針だったら、スカートを手でおさえさせるなりして隠せばいいのに」と思っていたのですが、上記の鈴木敏夫さんの発言を見て、考えをあらためました。
パンツを気にするかしないかで、そのキャラの性格づけが変わってしまうんですね。
双葉杏はふだんからラフな恰好をしていますから、パンチラとかをあまり気にしないキャラとして設定されています。(女の子ですからパンチラを気にしないということはありえないでしょうが、ふだんはあまり気にするそぶりを見せない)
上記のカットで、もし杏がスカートを手でおさえてしまうと、キャラづけが変わってしまうのです。
なので、不自然にでもスカートのほうを持ちあげて、パンツを隠す必要があったのでしょう。
ちなみに、上記カットの一つ手前のカットで杏は以下のようにしていますが、これはパンツを気にするというより、ただ脚の下で手を組んでいるだけと思われます。(スカートを手でおさえていないため)

映っている三人のうち、一番左の「緒方智絵里」は、女の子ずわりをしてちゃんとパンツが見えないようにしています。
中央の「三村かな子」はショートパンツをはいていますから、パンチラを気にする必要はありません。
こうして見ると、すわり方を見るだけで三人の個性がわかるようになっています。
このアニメでは、ほかの回でも、すわり方によってそのキャラの個性がでるように工夫されていました。
・アイドルマスター シンデレラガールズ 17話(監督=高雄統子/絵コンテ=鈴木健太郎/演出=矢嶋武)

これを見ると、パンチラを気にする子と気にしない子とでわかれているのがよくわかります。
演出家はこういうところでも頭を悩ませるのでしょうね。
ちなみに、京都アニメーションの「
Free!」でも、スカートを気にするしぐさがでてきました。
・Free! 2話(監督=内海紘子/絵コンテ=河浪栄作/演出=河浪栄作&太田里香)




スカートのおしりをおさえながらすわるしぐさが丁寧に描かれており、これにより女の子らしさを演出しているのですが、
スカートの丈の長さに注目してみてください。
ぶっちゃけ、これだけスカートが短いと、それをやっても意味なかったりします。(膝の裏側にスカートを巻きこめない)
なので、アニメにおいては、立っているときとすわっているときで、
スカートの丈を変化させることが多いようです。
上記引用画像の1枚目と4枚目を比べていただくと、すわったときにスカートが少し長くなっているのがわかるかと思います。(それでもまだスカートは短いですが)
アニメのキャラは脚が長くてスカートが短いデザインが多いので、このように工夫する必要があります。
一番上に引用した「耳をすませば」も、よく見ると、すわっているときのカットではスカートが若干長くなっています。
以下は余談になりますが、アニメにおけるスカートの演出で、僕がずっと不思議に思っているのが、「けいおん!!(二期)」の24話です。
・けいおん!! 24話(監督=山田尚子/絵コンテ=山田尚子/演出=山田尚子&坂本一也)






先輩たちが卒業してしまうのを、後輩の「中野梓」がどこかさびしそうに眺めているシーンです。
BGMもしんみりとしており、感傷的な雰囲気が漂います。
そこへ一陣の風が通りすぎます。
これまでの先輩たちとの思い出が脳裡をよぎるという表現でしょう。
そこまではいいのですが、一瞬、梓のスカートが風でめくれあがり、
パンチラしそうになります。
最初これを見たとき、本当にびっくりしました。
感傷的なこのシーンで、どうして
パンチラ未遂のカットが入るのか。
たんに風が吹くことを表現しようと思ったら、髪がなびくだけのカットでもよいはずです。
わざわざスカートをアップにして、内側からまくれあがるようにする必要はないのでは、と思いました。
ぶっちゃけ、これのせいで「
あずにゃんのおぱんちゅが見たいお! おぱんちゅおぱんちゅ!」などという欲望で頭がいっぱいになって、そのあとの流れに集中できませんでした。
まぁ、俺が変態なだけなんでしょうけど。この話の絵コンテを描いているのは山田監督ご自身ですから、これはまぎれもなく監督のめざした演出なわけです。
山田監督の演出ではしばしば、この手の理窟ではいまいち説明のつきづらいカットが入り、作品を彩ります。
それが氏の演出の魅力の一つなのですが、同じ京アニでも武本康弘監督のようなきっちり計算された演出と比べてみると、そのちがいが一層際立ちます。
この梓のスカートのカット、考えようによっては、「ふだんの梓であれば、スカートがめくれればすぐに手でおさえるのに、先輩たちのことで頭がいっぱいになってしまっていて、おさえるのをわすれている」という茫然とした状態を表現しようとしている…………の、かなぁ?
すみません、スカートについて、とりとめのないエントリになってしまいました。
なんだか最近、ヒロインのパンチラとかシャワーシーンは一話からこれみよがしにバンバンやるんじゃなくて、
中盤あたりの話数からじわじわやったほうがありがたみがでていいんじゃね? などと「
NEW GAME!」を観てぼんやり思った藍上でした。