アキハバラ∧デンパトウ・第10回解説

アキハバラ∧デンパトウ (GA文庫)
藍上 陸
れい亜 (イラスト)
SBクリエイティブ


第9回の解説はこちら。

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「これ! この子ね、ボクの変わりにぱくぱくって!」
 店先のオープンディスプレイの場所に置かれている、マネキンを指さした。
 それは高価そうなドレスを着ており、あきらかにふれてはいけないものだったが、昂奮したペンネが土足のままオープンディスプレイにあがりこみ、
「みんなー見ててね? てってー! ふきゅわじゅちゅー!」
 マネキンの頭を抱えこんで、芸をはじめようとする。
「まてまてまて! 怒られる!」
 チロが割って入るまでもなく、すぐにお店の人が「お客様!?」と飛びだしてきた。
 ZOOが泡を食って叫ぶ。
「ああっ、こらこら、サル助! 勝手にそんなことしちゃあ!」
「さ、サル助ってだれですか。」ヌグがびびる。
「まちがえた、それは動物園の悪戯サルで……ペンネちゃん! そんなとこに入ったらだめだよ、怒られちゃうよ!」
「ハッハッハ、ペンネはサルみたいに元気ということサ!」
 番人がウィンクし、カオスな状態を強引に締める。
 パンッと手を叩き、カメラにでもいうように、
「ハイッ、ここでトイレ休憩いってみようかナ!」
             ∽∵∨―∧
            \トイレ/

  空気嫁
 結局、今回もペンネの腹話術は披露されなかった。
 高級レディース店を追いだされた五人は、フロアを変えて、ふたたびお店を探した。
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以前にもありましたが、今回も唐突にペンネが腹話術をやろうとしています。
まわりが混乱している場面ですが、結局最後は番人が強引に締めます。
バラエティ番組の司会者のように、「トイレ休憩」という言葉を使っていますが、これはまさにバラエティのようなノリをだそうとしたためです。

本作ではこのようにメタ的な台詞がときおりでてきますが、使うキャラを限定しないと、世界観を壊すことになりかねません。
「下ネタ」のあつかいもそうなのですが、作者が愉しみすぎて(あるいは楽をしようとして)使いすぎるとよくないですね。
本作の場合、ヒロインのペンネが「異世界からきた」と信じているため、彼女にメタ的な発言をさせると一気に世界観が崩潰してしまいます。
番人や企業戦士のような、「なんでもあり」のキャラにやらせるのが無難です。
こういうときおっさんキャラは助かります(それい甘えすぎてもいけないのですが)

また、そのあとの行で「∽∵∧―∧」の理科標本が、\トイレ/といってます。横書きだとちょっとわかりづらいですが……。

一行空きのあと、結局今回もペンネの腹話術が披露されなかったことが地の文で示されますが、彼女が腹話術を披露するときはくるのでしょうか。作者にもわかりません。


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「なっ、なんつうものをのませるんですか!」
「カカカーッ! 死ねい! ウチに恥をかかせた罰や!」
 ぐるぐると追いかけ合う二人を、残りの面々が呆れ顔で見つめている。
 ――そんな、いつもの平和な電波塔の一ページ。

おゥ、こんなくだらん話はどうだって――

  叔父の事務所で
「――いいんだよ。なぁ、高橋。」
 書き継がれているチロの日記と話をきいて、ヤクザの叔父がいった。
 この事務所を訪れるのは、これで何度目だったろう。チロは思いだせない。
 叔父がタバコに火をつけながら、
「ようするに、連中の弱点はよくわからんっつうことか。」
 チロは脂汗を流しながらうなずいた。
 そうか、と叔父が紫煙をくゆらしながらつぶやいた。

「もう、力づくでやるしかないなァ。」
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ここでは、「音声前後法」という手法を使って、場面転換をしています。
映画などにおける「スプリット編集」を応用したもので、たとえばつぎのカットに映る前に、さきに音声を流すというたぐいのものです。
これを「ずりあげ」というようで、逆にカットが切り替わっても前の音声を流しつづけるのを「ずりさげ」というそうです。声優業界などでは「こぼし」というようですね。

ここでは、さきに叔父の「おゥ、こんなくだらん話はどうだって――」という台詞を流し、そこから場面転換して、「――いいんだよ。なぁ、高橋。」と台詞のつづきをいわせています。

どうしてこのように書いたかというと、一つには「これから物語がシリアスになる」ということを印象づけたかったからです。
これまでは、電波塔の住人たちの馬鹿騒ぎが描かれていましたが、ここからはクライマックスに向けて雰囲気が変わっていきます。
なので、表現の面でも工夫して「スイッチが切り替わった」ことを伝えたいと思ったのです。

コメディ場面の最後に、叔父の台詞を先行して流すことにより、「コメディのなかに割りこんでくる、つぎのシリアスな展開」ということを読者に印象づけたいと思いました。

もう一つの理由として、第6回の「怖い叔父さん」の小見出しのところから、「チロが叔父へ日記などを見せて電波塔のことを説明していく」という体裁になっているためでもあります。
これまでにも、チロが叔父の事務所に行ったということが描写されています。
なので、あらためてここで「チロの説明をきいて、叔父が反応する」ということを印象的に書く必要があったのです。伏線の回収でもあるわけですね。

さて、上記引用文の「叔父の事務所で」の小見出し以降は、叔父の反応がさらりと数行書かれ、最後に「もう、力づくでやるしかないなァ。」という叔父の台詞で、このあとの展開を匂わせる形で終わっています。

ここは非常に難しいところで、このように書くのではなく、数ページ使って叔父たちヤクザの反応をみっちりと書くという手もあると思います。
しかし、それだと物語のテンポが悪くなり、また「シリアス度」が急にあがりすぎてしまいます。
また、そのシーンがおもしろいものになるかというと……ようするに「叔父が怒った」という事実の「説明」でしかないため、どう書いてもおもしろくはならないんですね。

なので、このように音声前後法を使って、短く印象的に「物語が変わる」ということを伝えようと思いました。
コメディからシリアスに変わるときに、どのように書けば読者の違和感を減じられるかというのは、娯楽作家にとって永遠のテーマかもしれません。
映像であれば「音楽」という手段があり、シリアスに移る前に音楽のほうからさきに変えていくというやりかたや、「意味深な風景ショット」を挟んだりして、空気が変わることを予告することができます。

その、「風景ショット」を小説に応用したものが、つぎの場面です。


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  七月の青影
 その季節は群青色のくじら。
 夏が、巨体をうねらせて游泳している。
 街のあちこちに夏の色が溶けこみ、影すらも青みがかっている。
 ゆらゆらと歩道を進む、青い影法師。
 フェンスの網目から投げかけられた幾何学的な青影。
 落ちていた空き缶が拾われ、一瞬だけ地面に点として浮きでて消えた青影。
 描きかけのマンガ原稿を踏みつける、靴底の青影。
 信号機のひさしの下で、赤と競い合う青影。
 高々と舞いあがる白鳩の、羽ばたく翼のつけ根に波打つ青影。
 空に浮かぶ飛行船――そこから電波塔に落ちる大きな影は、青いくじらの形をしている。
「空飛ぶ魚。」
 少女の全身が、くじらの影で青く塗りつぶされていた。
「……みたいだけど、ちがうんだよね、あれ。」
 飛行船を見あげていたペンネはつぶやいた。
 電波塔の屋上――さらに上。
 二百メートルにもおよぶアンテナの一部に、ペンネは腰かけていた。
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最初の「その季節は群青色のくじら。/夏が、巨体をうねらせて游泳している。」は、いうまでもなく第1回の冒頭の「その季節は萌黄色の子犬。/春が、しっぽをふってはしゃいでいる。」を意識したものです。
物語がシリアス調に変わるにあたり、仕切り直しの意味をこめて、もう一度こういう表現を持ってきました。

そのあと、「街のあちこちに夏の色が溶けこみ、影すらも青みがかっている。」という言葉のあとに、実際につぎつぎと「青い影」が描写されていきます。
これは、自分が「共通列挙法」という呼んでいるやりかたです。

ペンネの髪の色が青なことからわかるように、この作品のテーマカラーは「青」です。
「影が青みがかる」という非現実的な情景を連続して強調することで、物語の雰囲気が変わったことを伝えようとしています。
青い影を列挙することによって、不安なイメージ――「自己存在の不安」や「現実のゆらぎ」というものを読者が受けとってくれれば成功なのですが……いかがでしょう。

また、たんに影を列挙するだけでなく、「地面→信号→鳥→飛行船(くじら)」というように、徐々に視線があがっていくようにして、映像的に変化をつけています。
「描きかけのマンガ原稿を踏みつける、靴底の青影。」という表現は、これからヤクザたちがやってくるという「脅威」をメタファーの形で予告しています。


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 風が強く吹きぬけた。
 長髪が後ろへなびき、かたわらの鉄骨に積んであったマンガ原稿がめくれあがった。
「あっ!」
 手をのばすが間に合わず、一枚が後ろへ羽ばたいた。
 それは白くきらめきながら、羽毛のようにひらひらと屋上に舞いおり――
 ――やってきた男の足もとにすべりこんだ。
「…………」
 チロはそれを拾いあげた。
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ペンネの視点から、チロの視点へと移り変わるシーン。
風にあおられて飛んでいく原稿が、視点移行のバトンのような役目を果たしています。

じつはこの視点変更の手法は前々からやってみたいと思っていて、べつの企画で「紙飛行機を飛ばして視点変更」ということをやろうとしたこともありました。
じつは、「ステープリング・テクニクス」などの文演法も、もともとここから発想したのでした。

しかし、あるとき十文字青氏の「薔薇のマリア」を読んでいたら、この視点変更の手法が使われておりました。
以下に、その個所を引用します。


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「せめて、この花を捧げよう。キミの名にも冠されている花だョ」
 男は優雅な動作で一輪の真っ赤な薔薇を投げた。
「――花言葉は愛情、情熱、あるいは、熱烈な恋」
 放物線を描いて、薔薇が落下してゆく。
 ゆっくりと、だが、正確に。
 百万言を費やしても語りつくせぬ熱情をのせて、想い人の足許へと――

 薔薇が落ちた。

「……ん?」
 身をかがめて赤い薔薇を拾い上げた瞬間、ある不吉な予測がマリアローズの脳裏をよぎった。すぐさま頭上を振り仰いだが、建物の窓にも、屋上にも、人影らしきものは見あたらない。

――十文字青「薔薇のマリア〈1〉夢追い女王は永遠に眠れ」(スニーカー文庫)P11・P12――
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物語の冒頭、屋根にのぼった「男」が、地上へ向けて薔薇を投げ、それをヒロインの「マリアローズ」が拾いあげます。
タイトルの「薔薇のマリア」にかけたシーンで、十文字氏らしい、映像的かつ叙情性を感じさせるシーンとなっています。

また、あるとき、学生時代に読んだ中井英夫の「虚無への供物」を読み返していたら、ここでも同じような視点変更の手法が使われておりました。
以下に引用します。


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 従って、舞台といっても、店の片隅を黒い垂幕で仕切っただけだし、床からボーイが差付けている照明は、また、ボール紙で電球をくるんで色ガラスをあてがうというだけのもので、いま、そのハイライトに浮きあがったおキミちゃんは、フォリ・ベルジェールの式に裸、おまけに唇には黄薔薇を一輪、横ぐわえにしているというのも、下町風なサービスのつもりかも知れない。得体の知れぬ風体だが、そのとき照明が、突然真黄色に変えられたのは、やはりサロメらしく、満月の夜をあらわしたのであろう。お花婆あが一膝のり出し、シュトラウスまがいに弾き出すにつれて、おキミちゃんは、身ぶりたっぷりに唇から薔薇をぬきとり、煙草の火が明滅する仄暗い客席へ見当をつけながら、いきなり抛ってよこした。――造花ではないらしい。薄黄の花弁を痛々しく散らして、薔薇は、ちょうど光田亜利夫の足もとに崩れ落ちたのだった。
「あらいやだ、まるで、ここを狙って投げたみたいじゃないの」
 向い合せのシートから、すばやく体を屈めてその薔薇を拾いあげると、奈々村久夫は、ついでに亜利夫の脚を突ついてそう囁いた。

――中井英夫「虚無への供物」(講談社文庫) P12――
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ゲイバーのステージで、美少年の「おキミちゃん」のはなった黄薔薇によって、視点が光田亜利夫に移ります。
薔薇のマリアの記述は少しこれと似ていますが、おそらく偶然でしょう。

視点変更のテクニックですが、しかし前半ではだれの視点なのか、一見したところわかりづらいです。
作中の人物が見ている光景というより、どこかにあるカメラでステージを撮影しているといった感じです。
三人称の文体なのですが、無機的な感じではなく、むしろ感情のこめられた感じがします。これは中井英夫の文体の特徴の一つでしょう。
途中にある「――造花ではないらしい。」という一文も、だれの感想なのか難しいところです。このあとにでてくる「光田亜利夫」の感想ともとれますが、神視点(作者?)の感想ともとれます。

私は18歳ぐらいのときにこの「虚無への供物」を読んでいるので、自分がこういう視点変更をおこないたいと思っていたのは、きっとこの作品の影響でしょう。
自分がわすれているだけで、やはり他者からいろいろな影響を受けているものです。


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 ペンネに手を引かれていく。
 屋上には、管理用の小屋が設置されている。
 その裏手の、フェンスとのあいだのわずかなスペースがちょうど日影になっており、二人は肩をならべてそこに腰をおろした。

(※中略)

 ――太陽が首をかしげ、二人がいる小屋裏を覗きこんだ。
 力強い陽射しが影をぬぐいさり、二人の姿をあけすけに照らしだした。 
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二人を小屋の裏へと移動させたのは、「日影」のなかで会話させることで、これがシリアスな場面であることを示すためです。
(※中略)されている場面では、これまでにない真剣かつ辛辣な言葉が交わされます。
チロが一方的にヒートアップしていきますが、「敵にならなければならない」というポーズと、コンプレックスを刺戟されて本当に苛立ってしまっている気持ちと、それに対する自己嫌悪とがないまぜになっている状態を書くことにつとめました。

「日影に太陽光が射しこむ」という描写は、映像作品ではよく「希望が射しこむメタファー」として使われます。
しかし上記引用文では、「二人の姿をあけすけに照らしだした。」という具合に、隠されていた本音があきらかになることを示すために光を射しこませています。

また、ここで日影に光を入れることにより、今回のクライマックスである以下の描写が可能になります。


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 視界がぶれた。
 かわいた音が間近ではじけた。

 少し遅れて痛みが口内に走ったところでようやく、平手打ちされたことが理解できた。
 ペンネの表情は――白飛びしたように陽を反射して、うかがえない。
「……ばかっ!」
 彼女が身をひるがえした。
 長い髪が踊るようになびき、チロの視界をふさいだ。
「――――」 
 放心したチロの顔に、なびく髪の影が落ちる。
 チロの顔を切り刻むような――無数の青い影が。
 それはほんの一瞬のできごとだったが、チロにはコマ送りのように遅く感じられた。
 ――ふたたび目に青空が帰ってきても、しばらくそのことに気づけなかった。
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怒ったペンネがチロを叩き、それにつづいて「放心したチロの顔に、なびく髪の影が落ちる。/チロの顔を切り刻むような――無数の青い影が。」という具合に、髪の影によって、さらにチロを攻撃しています。

二人のいる場所がずっと日影だと、この描写ができません。(影にいる人の顔には、新たな影は落ちないため)
いったん光を射しこませることにより、これが可能になりました。

また、「ペンネの表情は――白飛びしたように陽を反射して、うかがえない。」というふうに、強いライティングによって顔が見えないという演出もしています。
当初、ここでは「ペンネの目には涙がたまっている」というふうに書いていたのですが、ペンネのキャラクターをかんがみると、こういうときには泣かないだろうと思い、白飛びさせて顔を隠すことにしました。

第10回の解説は以上です。

第11回の解説はこちら。