藍上 陸
れい亜 (イラスト)
SBクリエイティブ
第6回の解説はこちら。――――――――――――――――――――――――――――――
さわってみる? マンガ家のペンネには、月に二度、締切がやってくる。
「おっおー、わったー。」
リビングのカーペットに腹ばいになってマンガを描いていたペンネが、ころんとひっくり返って声をあげた。
近くの坐卓で勉強していたチロは、ノートから顔をあげた。
「おつかれ。ヌグちゃんのとこに持ってこうか。」
「おーねーがーひー。」
仰向けになったまま、ペンネが原稿用紙をひらひら掲げた。
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第7話は、ペンネとチロのやりとりからはじまります。
何度か述べておりますが、ペンネの台詞はあえて崩した書き方をしております。
「おっおー、わったー。」という台詞も、当初は「んー、終わったー。」と書いていたのですが、もっと彼女らしさをだしたいと思い、このようにしました。
「おーねーがーひー。」というのも同様です。
舌足らずで、息が多い感じの声ですね。
また、ペンネの仕草には、寝転がったり、場所を選ばずにどこでも腰かけるという動作をよく入れています。
これはペンネのぐたっとした感じをだしたいからです。
本人は自身のことを少年だと思っているので、このように小動物みたいな無防備なことができるわけですね。
この手のボクっ娘の魅力はこういうところだと思います。
つぎのシーンもそうです。
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チロは立ちあがり、寝ているペンネを見おろして原稿を受けとろうとし、そして固まった。
「…………」
ふくらみ。
バスクシャツの上からでも状態がよくわかる。
仰向けになっているため、それが横へ広がり、胴体のラインからはみださんばかりに。
(な、夏ばてして)(ぐったりした)(スライム!)
チロの特徴のない目つきに、鋭利な光がさす。
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ペンネの胸の描写ですが、あえて文中で「胸」とか「おっぱい」などとは書かず、「ふくらみ」とだけ書いています。
小説に限らず、創作表現というものは受け手のほうから能動的に参加してもらって、はじめておもしろみが感じられるものです。
書き手の押しつけによって理解するのではなく、受け手のほうから意味を発見することによって、より愛着が持てるようになり、受け手のなかで世界が広がります。
とくに、このようなサービスシーンの場合は、あからさまに書きすぎると「発見」のよろこびがなくなり、わざとらしさしか感じられなくなるので注意が必要です。
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「チぃくん、どしたの?」
ペンネがきょとんとする。最初は高橋のことを「チロくん」と呼んでいた彼女であったが、舌足らずで〝ロ〟がいいづらいらしく、最近は「チぃくん」と呼ぶようになった。
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第5回で、主人公の呼称が「タカハシくん」から「チロくん」へと変更されましたが、ここではさらに「チぃくん」になっています。
通常ではキャラの呼び方は固定されることが多いのですが、あえてこのように変化させることにより、ペンネのチロへの親密度の変化を示しています。
また、「チロが引っ越してきてから、あるていどの時間が経った」という時間の流れも示しています。
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あぃがと、と答えながらペンネが上体を起こした。それによって、横に広がっていた〝ふくらみ〟も通常にもどった。下側にボリュームのついたそれが、バスクシャツを大きくおしあげている。そのせいでシャツの裾が足りなくなり、彼女が後ろ手をついて身をそらせると、薄く横皺の入ったへそがちらちらと覗けた。
「なっと~、なっと~♪」
放りだした両足をぱたぱたさせ、彼女が歌う。
「…………」
なぜ納豆の歌? とつっこむべきところだが、またチロは固まってしまっていた。
ペンネのバスクシャツの襟ぐりが、ピスタチオのようにひらいていた。
上からのぞきこむ恰好になるため、ふくらみによっておしあげられたシャツの内部がうかがえた。ふくらみの谷間をすぎて、へそまで見通せるかのようだ。
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最初の「あぃがと」も、ペンネらしい舌足らずな口調を求めた結果です。
引きつづき胸に関連したサービスシーンですが、マンガや映像とはちがい、文章でそれらを表現しなければならないため、難しさがあります。
小説の場合は基本的に、「見た」だけの表現よりも、「体験した」表現のほうが向いていると思います。
小説のおもしろみの一つは、主人公の身に起きたことを読者が追体験できることだと思います。
映画などの場合は、あくまでもできごとは「スクリーンの向こう側」のことですが、小説の場合は、読者が文章を通じて「作品の内側」に入っていけるところがよいのです。
これは一人称の文体でも三人称の文体でも基本的に変わりません。
主人公(焦点化された人物)の五感描写を通じて、読者に「体験」してもらえる文章こそが、小説の一つの理想であろうと思います。
なので、上記引用文のような、「主人公がヒロインの胸を見てどきどきする」というたぐいの表現は、じつは小説という媒体はあまり得意ではありません。
五感のうちの「視覚」に限定されてしまうからです。全身を使って体験する、セックスや戦闘シーンのほうがじつは書きやすいのです。
高画質なアダルトビデオが多く作られても、官能小説が廃れない理由でもあります。
もっとも、「どきどきする主人公の内面」を描くことは小説の得意とするところですが――それを娯楽として楽しいものにするには、なんらかの工夫が必要でしょう。
今後の自分の課題であります。
上記引用文では、構図を工夫して、立体的(というほどでもないですが)に、ペンネの胸を描写しようとしています。
二人の体勢(立ち位置)をしっかり提示し、そこから見おろす形で、胸の谷間からへそまで見通せるような描写になっています。
胸だけでなく、その大きさによってバスクシャツが押しあげられ、へそまでが見えるようにしています。
こういうときは、妙ないい方になりますが、「嘘でもいいからリアリズムに徹する姿勢」が必要です。
実際に巨乳の女性がこういう体勢になって、こういう光景になるかはわかりませんが、いかにもそれっぽいと思わせることが重要と思います。
つぎの描写もそうです。
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一息ついたのもつかの間、つぎなる衝撃がチロを襲った。
ペンネが、バスクシャツを脱ごうとしていた。
両手を交叉させて裾をつかみ、「んしょんしょ」とよじりあげている。すでに胴体が丸まると露出し、ボリュームのあるふくらみの下半分までもが覗けた。ずっと腹ばいになっていたせいか、うっすらと肌に汗をかき、下半分のふくらみが磨かれたように艶めいていた。
「ペ、ペペペペッ、」
「ぅりゅ?」
シャツのなかに埋もれていたペンネの顔が、ぴょこんと外へ飛びだす。
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さきほどは上から覗く形でしたが、今度は下乳を描写しています。
ここでも「胸」ではなく「ふくらみ」という形で、ぼかして書いています。
胸の描写では、どうしても「身をよじる動作に合わせて、ぷるぷるとふるえた」などといったように「ぷるぷる感」を書きたくなりますが、ここでは汗をかいて磨かれたように光っているさまを表現しています。
時間が止まったような、決定的な一瞬を狙いました。
ぷるぷる感を示すやり方もよいのですが、いろいろと盛りこむとやりすぎになってしまい、ありがたみが薄れます。
全体を詳細に描写するのではなく、どこか一カ所に絞って強調する書き方のほうが色気が伝わりやすいと思いますし、読者の想像もふくらむかと思います。
足し算ではなく引き算ですね。
しかもこのあと、ペンネのほうから「これ、さわってみる?」と胸をさわらせようとする誘いがあるので、あまりやりすぎるとくどくなります。
ペンネの胸をさわろうかどうか迷うチロですが、ヌグがやってきて時間切れとなります。↓
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「ん、なーに?」
ペンネがよちよちと立ちあがって、チロを迂回してヌグについた。どうやら作画についての相談だったらしく、二人はそのままダイニングの食卓の原稿に向かっていった。
ほんの一瞬で、それまで眼下に捧げられていたふくらみが去ってしまった。
もっと早く決断していれば、いまごろ手のひらにふくらみの感触が残っていたであろう。
「…………」
石川啄木のように、ぢっと手を見る。
正義の味方? ぢっと手を見ている。
「……はぁ。」
きのうのことが頭から消えない。あのときもっと早く行動していれば。後悔先に立たずとはこのことだ。
ため息をつくのにもっともふさわしい時間に、チロはいた。
授業中である。
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「ぢっと手を見る。」というのは、石川啄木の有名な歌集「
一握の砂」のなかに収録された、「はたらけど はたらけど猶 わが生活楽にならざり ぢつと手を見る。」という歌の引用です。
このフレーズだけがなぜか有名で、宮下あきら氏の「
魁!!男塾」でもパロディ化されていました。
このフレーズは、一行空きを挟んでくり返されております。
ステープリング・テクニクスの一種ですが、どれに分類すべきかというと、ちょっと迷うところです。
映像でいうところのマッチカットの一種で、「ぢっと手を見ている」姿のまま、ちがう場所に移動しているイメージです。
以下の引用画像は、京都アニメーション制作「
Kanon」1話より。(監督・絵コンテ=石原立也/演出=坂本一也)


ヒロインの一人である水瀬名雪が、主人公との待ち合わせをすっぽかされてすねているシーンです。
外のベンチでまたされている姿のまま、家のなかに移動しています。
これにより、「場所は変わっても名雪の機嫌は変わってない」ということを示しているわけです。
本作の「ぢっと手を見る」の流れも、ペンネの胸をさわらずに後悔しているチロの気分が、場所が変わっても持続していることをあらわしています。
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「ペンネちゃん!?」
後ろの席に、当たり前のように彼女がすわっていた。
そしてにっこり小首をかしげ、
「こんにチぃくん?」
耳の横でパッと両手を開き、妙な挨拶をしてくる。
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……すみません、「こんにチぃくん?」が個人的にかわいくて好きなので、ここでとりあげてみました。
ふつうの女の子がやればあざといのですが、自分のことを男だと思っているペンネならゆるされるのではないかと……。
「男の子のようにふざけている女の子」が好きなんですね。
こういうの、あとの回でもでてきます。
ええと、このあとペンネが
アメリカを倒すうんぬんをいいだすギャグシーンとなるのですが、どう解説したらいいものやら……。
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「いまペンネ氏がこういう過激な発言をしたのは、決してアメリカや大統領に対する悪意からではないと思われます! ただ純粋に、この世界の悪を憎み、平和をもたらそうとした結果、不幸な勘ちがいから世界最強の国を巨悪と判断してしまったのです! 決してだれかの反米思想を代弁しているわけではないことをここに確認しておきます!」
「チぃくん、どこにいってるの? そっちはなにもないよ?」
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とりあえず、上記のことは本当でございます。
べつに作者はことさら反米主義者というわけじゃありませんので、誤解なきよう。
(どの国も嫌いなだけです)昨今だと、へたにこういう発言をすると「ヘイトスピーチだ!」と世間からいわれてしまいそうですが、なぜか反米発言は容認される傾向にあるのがおもしろいところです。
アジアの某国に対してこういう傾向のこと書いたら、レイシストだと叩かれるのにね。
念のため、「チぃくん、どこにいってるの? そっちはなにもないよ?」というペンネのメタを匂わす発言によって、ギャグであることを強調しています。
このあと、番人まで登場してきて、さらにカオスな事態となりますが、内容はぜひ本篇でお確かめください。
この予備校のシーンで、「さまざまなテナントの入っている電波塔のなかでいろいろな事件が起きる」という本作の基本線が作られることになります。
外にでることもあるのですが、あくまでもタイトルのとおり、電波塔のなかで物語を進めていくことが多いです。
いわゆる「
グランドホテル方式」のようなものですが、複数の人物の視点が入り乱れるのではなく、基本的にチロ視点で進行していきます。(たまにべつの人の視点になりますが)
これは小説の特性上、「頻繁に視点変更すると物語の情感が断ち切られやすい」という点を考慮してのものです。
視点変更を多くしてもおもしろい小説はありますが、個人的にそういうタイプのものは、読むのも書くのもあまり得意ではありません。
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「さぁ走るのさ!」
「うん、ボク走る!」
きらきらした笑顔で、そろって走りだす。
軍隊のランニングのように、番人の名前を連呼しながら。
番人ダブル・バイセップス!バリバリキレテル!デカイ!ナイスバルク!! 番人ダブル・バイセップス!バリバリキレテル!デカイ!ナイスバルク!! 番人ダブル・バイセップス!バリバリキレテル!デカイ!ナイスバルク!! 番人ダブル・バイセップス!バリバリキレテル!デカイ!ナイスバルク!! 番人ダブル・バイセップス!バリバリキレテル!デカイ!ナイスバルク!! 番人ダブル・バイセップス!バリバリキレテル!デカイ!ナイスバルク!!
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最後は上記のような意味不明なノリで締めくくられます。
この番人さんの名前連呼は、つぎの第8回にも引き継がれます。
どのようにつながれるかは、つぎのお楽しみということで。(^^)
第8回の解説はこちら。