前回に引きつづき、注目の若手演出家、石井俊匡さんの仕事をとりあげます。
今回は、
四月は君の嘘の18話。
石井さんは絵コンテ・演出をされています。
正直に告白しますと、最初にこれを見たときはまだ、石井俊匡さんの名前を意識しませんでした。
このアニメは全体的に演出と作画がよかったので、18話だけが飛び抜けてよかったという印象を持たなかったからです。
しかし、今回あらためて見返してみて、「あー、この回だったのか」と感慨がわいてきました。
印象に残っているシーンがちゃんとあるんですね。それを中心に今回とりあげてみたいと思います。
18話の前半は、主人公の有馬公生と後輩の相座凪による、連弾のシークエンスがつづきます。
この作品の売りの一つである演奏シーンですが、演出するのが非常に難しい部分だと思います。
なにしろキャラがピアノの前に固定されていて、指以外の動きが少ないので。
「見栄え」を演出しづらいわけですね。
一番美しいのは演奏している「指」の動きですが、そこだけを映しているわけにもいかず、アニメーターに描いてもらうのもたいへんなので、そういうカットはここ一番に持ってくる必要があります。(実際、とびっきりのカットがあとに用意されています)
つまり、「動きのすくない絵面」をいかに華やかに見せるか――そこに演出家の腕がかかっています。
そこで使われるのが、カメラワークです。
以下に、演奏がはじまってからのカメラワークを、画像引用しながら追ってみたいと思います。
赤文字で記されているのがカメラワークです。
・「T.B」は「トラックバック」を意味し、カメラが後ろに引いていく動きです。
・「→」などの矢印は、その方向へカメラが動いていくことを示しています。
・「FIX」は固定カメラのことで、カメラの動きはありません。













見ていただくとおわかりかと思いますが、カメラワークに一定の「流れ」があります。
はじめに「T.B」を3回くり返したあと、「右方向」の動きを3回くり返します。
同じような動きを3回くり返すことで、一定の「視聴リズム」を作っているわけですね。
視聴者のなかに心地よいリズムを作りだし、画面に集中させる効果があります。
そのあと、7枚目に「右斜め上」へカメラが移動し、8枚目に直角に折れるように「左斜め上」へと移動していきます。
激しく方向を変化させて画面に動きを与えた上で、9枚目・10枚目はカメラを動かさないFIXになります。
変化がつづきすぎると散漫になってしまうので、いったんFIXを挟むわけですね。
ここでもFIXのカットをくり返してリズムをとっています。
そして10枚目・11枚目は高いところから、どんどんPANダウンしていきます。画面の変化が一番起きるところですね。
ここで一気に気持ちよさを演出し、最後の12枚目でまたFIXにして、凪の
「うんっ、よし! 最高の入りだ!」という心の声をいわせます。
ここまでが演奏の「入り」です。
このあとも演奏シーンはつづきますが、ひとまずこの入り方を見るだけでも、カメラワークがちゃんと計算されていることがわかるかと思います。
視聴者の生理感覚に訴えるようにできているんですね。
こういうカメラワークは、富野由悠季監督が重視していることで有名です。
「
映像の原則」によると心臓の位置などを根拠に、カミテ・シモテの関係やカメラワークは生理的に決まってくるのだそうです。(僕はいまいち理解できてませんが)
このようにカメラワークの力でうまく演奏をつないでいくのですが、演奏の後半、キャラクターの心情がどんどん盛りあがってくるところで、ついに
必殺のカットが炸裂します。




およそ4秒に渡って、二人の指が触れ合った状態での連弾。
まるで男女が愛撫しあっているようで、じつにエロティックです。
この話を見た人はみんな、鮮烈な印象をおぼえるのではないでしょうか。
僕も今回あらためてこの話を見返したとき、ばっちりこのカットをおぼえてました。
この連弾シーンとともに、凪の心の声が流れます。
「終わっちゃう……ヘンな感じ。つかれてるのに、ぶっ倒れるまで弾きつづけたい。わたし、ちゃんと弾けたかな? 真摯に向かい合えたかな?」この心の声は、途中でつぎのカットにこぼされます。↓




演奏中に、となりを見つめる凪――それを見返す公生。
このシーンにきゅんとこない人がいるでしょうか!?(反語)
見ているこっちが恋しちゃいそうです。
そして、この演奏を携帯電話を通じて聴いている、入院中の「宮園かをり」も、思わず曲に合わせてヴァイオリンを弾く仕草をします。

原作マンガでも同じような構図でしたが、逆光のなか、背中で見せるのがいいですねぇ。
生きることを諦めかけていたかおりが、二人の演奏に触発されて、また生きようという意志を持つ重要なシーンです。
ここでまた重要な演出がおこなわれます。


二枚を見比べていただくと、体の向きが同じということと、入射光がレンズに反射して起きる「ゴースト」の位置が共通していることがわかるかと思います。
この光の演出により、「場所はちがえども、三人は同じように演奏してるんだ」ということが強調されているわけですね。
ゴーストがなくても意図は伝わるかと思いますが、このように一部だけでも構図を相似させることで、念を押しているわけです。
いやぁ、もう泣きそうです。
っていうか泣きました。
演奏シーンはほかにも語りたいところはあるのですが、キリがないのでつぎにいきましょう。
演奏が終わり、張りつめていた緊張がとけ、ちょっと空気がゆるんでコメディちっくになります。
凪と、その兄である相座武士が、公生との関係を巡って口論になるシーン。

「だいたい、なんで有馬と知り合いなんだよ!?」「ここでお世話になってるの! いろいろ教えてもらってるの!」という口論をしている二人の背後に、バトルを示すような
「×」の形の鉄骨が見えます。
これは一種の遊びというか、コメディの雰囲気を増すためのしかけですね。
一枚目で思いきり二人を左右にふって、中央にでかでかと「×」を入れているので、意図がわかりやすくできています。
二枚目で、公生が情けなく半分見切れてるのも、いかにもコメディちっくでいいですね(^^)
さて、この話は最後にまた盛りあがるシーンがでてきます。
病院の屋上で、公生とかをりが会話するところです。
かをりと子供たちによる演奏シーンのあと、下記のような構図となります。

画面を広く使った構図です。
「かおり・公生・右奥の子供たち」の三つの要素を、三角形に配置しています。
広角レンズで撮ったような幅のある構図の場合、こうした工夫をしないと散漫な印象になることがあります。
右側に白いシーツ群を入れることで、余計な空間を潰しています。
その上で、公生を中心にして、「かをり」と「子供たち」とのあいだの隙間を同じぐらいに見せることで、安定感が増しています。
じつは、前後のカットをよく見ると、この公生の立ち位置はちょっとおかしいんですよね。
最初に、かをりと正面から向き合う流れがあるので、上記画像のように斜めの角度で向き合っているのは少しへんなんです。
もちろん、演出家はそれを百も承知であえてやっているわけで、やはり三角の構図の美しさを優先したのでしょう。
また、これ以降、
かをりを正面から映したカットがなくなります。横からや斜めからのアングルになるんですね。




これはどうしてかというと、
正面からのアングルは、最後の決めカットにとってあるからです。

「残酷な男の子……私にもう一度、夢を見ろという」心が洗われるような白いシーツを背景にした公生。
生命力のある赤い花を背景にしたかをり。
――くどくどしく解説しなくても、上記二枚のカットを見るだけで、十分に演出意図が伝わってくるでしょう。
こんな感じで、石井俊匡さんの演出を自分なりに追ってみました。
あくまでも映像の素人の意見なので、まちがいもあるかもしれませんが、どうかご容赦を。
あらためて見返してみて思ったのが、
この演出のよさに最初から気づけなかった俺ってバカですね。初見のときは、シナリオが感動的なため、なんにも考えずに感動するばかりでした。
だってぇー、原作をさきに読んでるからぁー、今回は感動することがわかってたんだもーん!
分析的にチェックしようだなんて思わないもん!(いいわけ)
アニメ@wikiによると、石井さんが一人で絵コンテを描かれたのは、これがはじめてのようです。(共同コンテは経験があるみたいですが)
これが一本目って……すごすぎるだろ……。
というか監督も、よくこんな重要な回を新人に任せたものですね。
それぐらい嘱望されているということなのでしょう。
これからも「僕街」や石井さんの仕事を追っていけたらと思います。
※追記。
「七つの大罪 聖戦の予兆」3話の石井俊匡演出