アキハバラ∧デンパトウ・第3回解説

アキハバラ∧デンパトウ (GA文庫)
藍上 陸
れい亜 (イラスト)
SBクリエイティブ


第2回の解説はこちら。

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「んん、なんでも。ちょっと、ひとりごと。」
 ごまかすようにいって、また身を丸めてせっせと原稿に食いついていった。 
 高橋はもうなにもきけなかった。いえなかった。
 さきほどのヌグと同じく、まだ事情を打ち明けてもらえるほどの仲になっていないのだ。
 立ちのきを成功させるには、もっと信用を得なければならない。かたくなに伏して秘密を持している住人たちの身をぺろりとめくり、その腹をさらけだすのだ。

  お風呂はそういうことをする場ではない
「おなかー。」
 うつぶせでマンガを描いていたペンネが、ヒトデがひっくり返るように四肢からゆっくり仰向けになって、腹をさらけだした。「すいたー。」
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第3回の解説を始めたいと思います。
一行空きのあとの「お風呂はそういうことをする場ではない」からが第3回ぶんの更新となります。

ここでも、一行空きを挟んで、ステープリング・テクニクスが使われております。
動作跨ぎ法の一種なのですが、しかしかなり弱い使い方です。注意して読まないと、スルーしてしまうかもしれません。(しかも連載の更新の継ぎ目の部分ですし)

「かたくなに伏して秘密を持している住人たちの身をぺろりとめくり、その腹をさらけだすのだ。」という文章で読者に「腹」を印象づけたあと、一行空きを挟んで場面転換し、「おなかー。」という台詞でもう一度「腹」を意識させます。
そして、そのあと「ヒトデがひっくり返るように四肢からゆっくり仰向けになって、腹をさらけだ」します。
読者から、「もう腹をさらけだすのかよ!」とつっこんでもらいたいところです。

シリアスな調子で前のシーンを締めたあと、つぎのシーンでそうそうにシリアスをぶち壊して、読者に肩すかしを食らわし、展開に起伏をつけるのが狙いです。


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「ヌグちゃんご飯しよー。」
 ダイニングキッチンに行くと、ヌグがテーブルにうずくまるように顔を近づけて作業していた。カッターを使ってスクリーントーンを切り、原稿に貼りつけている。
「まってください。もう少し。」
「いいよそんなの、てきとーで。」
「だめです。手をぬけないです。」
 鼻頭にトーンかすをつけながら、近眼のように目を細めて真剣に作業をつづける。
「息ぬきも必要だよ。」
 と、高橋がいうと、ヌグが「なるほど」と目を落としたまま薄笑いを浮かべ、
「だれかさんはたっぷり息ぬきしたおかげで二度も大学受験できたわけですね。」
「うぐっ、」\まだいうかっ/
「なっと~、なっと~♪」
 いきなりペンネが奇妙な呪文を唱えだした。 
 そして、ダンジョンで宝箱を見つけました、みたいにパカッと冷蔵庫をあける。
「タカハシくん、なっとーがあるよ?」
「納豆?」
「知らない?」
「あれあれ? 東大の生協に納豆は売ってないですか(笑)」
「うるさいな! 納豆がどうしたってんだよ!」
「なっと~、なっと~♪」
 ペンネがまた歌いながら、冷蔵庫から納豆のパックをとりだした。
 つぎつぎと、とめどなく、おかめ顔がテーブルに積みあげられた。
「なんでこんなにあるんだよ!」\落ちゲーかっ!/
「好きなだけ食べていいよ?」
 鷹揚にペンネが告げ、どんぶりのなかにつぎつぎと納豆を投入、上機嫌にくだんの歌を口ずさみながら、箸を用いてねりねりとかき混ぜた。
 部屋が納豆のにおいに満ちた。高橋はしばし茫然としたあと、
「……え? これ、主食?」
「おいしんだよ、こんなのあるなんて、ボクびっくりしちゃった。」
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ペンネのいいまわしは、「ご飯しよ」とか「てきと-」とか「おいしんだよ」というふうに、なるべく助詞や言葉の一部を省いて、言葉足らず(+舌足らず)な感じにしています。
地の文とはちがう書き方なので、何度か推敲しないと、どうしても固いいいまわしになってしまいます。
「こんなのあるなんて」というのも、最初は「こんなのがあるなんて」と書いていたのですが、推敲で助詞の「が」を省きました。

ヌグの「あれあれ? 東大の生協に納豆は売ってないですか(笑)」という台詞は、ヌグのうざい感じがでていて気に入ってます。「いやいや、生協に納豆は売ってねぇだろ」とつっこみたくなる感じで。実際に納豆が売ってるかどうかは知りませんが。

「なっと~、なっと~♪」というペンネによる納豆の歌は、企画当初から考えていたもので、ペンネの口癖になります。
昔、納豆売りの人がよくこの歌を口ずさみながら行商していたそうです。
ちょっとシュールな感じをだそうと思って、ペンネに歌わせることにしました。
どうでもいいですが作者の私も納豆が好きで、小泉武夫氏の「納豆の快楽」や「くさいはうまい」などを読み、さらに納豆が好きになりました。


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 胡椒の微粒子が舞いあがり、高橋の鼻を刺戟した。
 一足早くヌグが「ぺくち」と河童口になってくしゃみし、高橋もそれにつづいて、
「ふぁっ、……なっ、はっ、は~~~~~~っ、」
             ∽∵∧―∧
「バルクアップ!!」
 裸エプロンの番人が、体の前で拳をかち合わせて上体の筋肉を隆起させた。ボディビルの〝モスト・マスキュラー〟のポーズである。ドヤ顔である。
 電波塔の一階にあるコンビニ、《ダブル・バイセップス》。
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上記二行目の、「河童口」というのはどういうものかわかるでしょうか?
くしゃみをした拍子に、上唇が下に向かってつきでて、河童の口のように尖る感じです。
くしゃみに限らず、この「上唇が下につきでる」という表現はアニメやマンガなどでときおり見られるものです。

私が最初にこれを意識した作品は、2005年公開の舛成孝二監督による「かみちゅ!」でした。

かみちゅop河童口


上画像は「かみちゅ!」のOPの一カットです。(OP絵コンテ・演出=石浜真史)
パンをくわえる主人公の「ゆりえ」の上唇が下につきでています。これをもっと強調すれば河童の口のようにも見えるかと思います。
「ゲゲゲの鬼太郎」のネズミ男みたいに、出っ歯のようにかっこ悪い上唇の強調は昔からありましたが、こういう口の形を女の子にさせて「かわいい」と思わせるやり方は、ひょっとしたらわりと最近始まったことかもしれません。

↓2007年公開のアニメ「ひだまりスケッチ」の3話でも似た口の表現がでてきました。(総監督=新房昭之/絵コンテ=佐伯昭志/演出=石倉賢一)

ひだまりスケッチ3話河童口


↓2013年公開の「のんのんびより」の7話でも、このような口が。原作のマンガに準拠した表現です。

のんのんびよりの河童口


↓「アイドルマスター シンデレラガールズ」の9話でも、上唇が垂れる表現がでてきます。
なお、この回の絵コンテを担当されたのは、「かみちゅ!」の監督である舛成孝二氏です。(演出処理は土屋浩幸氏)

アイドルマスター シンデレラガールズ 09話の河童口


余談ですが、キャラの顔が下向きになっていないケースでも、最近のアニメでは唇の形をかわいく描くやりかたがよく見られるようになりました。
下の引用画像は石立太一監督の「境界の彼方」6話からですが、唇の形が魅力的です。

境界の彼方6話の唇


90年代は「目」が強調される絵が多かった印象ですが、最近は唇のニュアンスでも表情を作ることが多くなった気がします。(池上遼一氏や荒木飛呂彦氏などは昔から唇で色気をだしていましたが)
前記の「かみちゅ!」でも、河童のような口だけでなく、さまざまな口の形が描かれていました。
管見では、唇の表現が多様化した背景には、成年マンガの存在を無視できないように思います。

閑話休題。
上記引用文ではシーン転換のための一行空きがありますが、そこになにやら妙な文字列があります。
「∽∵∧―∧」というものですが、これは横書きだとなにがなにやらわからないでしょう。
縦書きにしたものが以下の画像です。

理科標本


なにやら人の形のようにも見えます。
これについては、あとの回で登場人物たちによって説明されますので、ここでは「シーン転換の記号」ぐらいに思っていてください。

その「∽∵∧―∧」を挟んで、またステープリング・テクニクスが使われております。


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「ハッハッハ! 肉まんを食べてキミの体もバルク、」
             ∽∵∧―∧
「……アップ。」
 エレベーターに乗ってウィーンと上昇しながら、高橋はぼそりとつぶやいた。
 両手には、一個ずつ肉まん。
 すぐ食べるからと、紙袋につつんだだけで手渡してもらったため、温かくてやわらかい。
 それを自分の胸に当てがっている。ふくよかな双丘ができた。まさに肉増量(バルクアップ)である。
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ここでも同様の、動作跨ぎ法です。
「バルクアップ」という言葉を、二人の人物によって分割しています。

また、「……アップ。」のあとの地の文に、「エレベーターに乗ってウィーンと上昇(中略)」という言葉がでてきますので、この「……アップ。」は二重の意味にも受けとれます。
つまり、「バルク→アップ」というふうに高橋が言葉を引き継いだともとれますし、エレベーターに乗って上昇していく状況を「アップ」と表現したともとれます。

二度、三度と読むうちに新たな発見がある書き方が個人的に好きです。
読者がそれを発見することにより、作品への愛着がふくらむと思うからです。
思い返せば、私が小学四年生のときに衛藤ヒロユキ氏の「魔法陣グルグル」に熱烈にハマり(みなさんも新装版をぜひ!)、いまでもハマりつづけている理由は、この「読み解く楽しさ」や「発見」に満ちあふれた作品だったからだと思います。
奥行きのある作品を作るためには、やはりディテールに凝る必要があります。
凝りすぎるとどんどん沼にはまっていくのですが……。


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「ああ、勉強……勉強しないと……つぎこそ東大に入ってまっとうな人生を始めるんだ……みっちり勉強しよう。部屋にもどったらすぐに、」
 すぐに、その決意は打ち砕かれてしまった。

(中略)

 二人の美少女が、ボディソープで泡まみれになりながら、きゃっきゃとパステルな声をあげて洗いっこしているシーンが想像できた。
 心搏数、急上昇。
 しまった、どうしよう。
 食べかけの肉まんを急いで呑み込む。
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話の雰囲気を変えるために、上記引用文では二つのレトリックを使っています。
台詞の末尾から地の文にかけて、「すぐに、」が二度くり返されています。
これは「文字鎖(もじぐさり)」に近いやり方といえると思います。
文章の末部と頭部で二度くり返すことにより、言葉の調子を作り、文の雰囲気や流れを変更します。
それにより、「これからなにかおもしろい展開があるぞ」と読者に予感させるわけです。

また、「心搏数、急上昇。/しまった、どうしよう。」という文は、脚韻を踏んでおります。
これにより言葉の調子を作り、主人公のどきどき感を表現しています。
読者の方に、直感的になにかを感じていただければ成功です。


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 ドアの向こうで、洗濯機がごぅんごぅんと鳴っている。
 その灰色の音に混じって、かすかに少女たちの色づいた声が聞こえてくる。
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小説は五感を使って描写するものだ、とよくいわれます。
その一つの方法として、共感覚的な表現というものがあります。
いわゆる「黄色い声」というような、視覚と聴覚を混ぜ合わせたような表現です。
「灰色の音」・「色づいた声」というのも、色を使って音を表しています。
前段の、「ごぅんごぅん」というのは具体的なオノマトペで、そのつぎに「灰色の音」という抽象表現がでてきますから、なにもわざわざオノマトペを使って二重に書かなくてもよかった気もしますが、しかし「洗濯機が鳴っている」だけだと、この洗濯機が現在「洗濯中」なのか「脱水中」なのかがわからないんですよね。
このあとの展開上、読者に「脱水中」だと思われてしまうとまずいので、「いま洗濯中ですよ」ということを示すために、「ごぅんごぅん」というオノマトペを足しました。


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「……失礼しまーす……」
 内気な児童が職員室をたずねるように、ためらいがちにドアをひらく。
 ドアの隙間から白い湯気が流れ、生暖かいそれを鼻に受けながら、そうっとなかを覗く。
「ふゎあああああっ!?」
「うりゅ?」
 稼働する洗濯機のなかに、ペンネが入っていた。

  ※よい子はぜったいにまねしないでください
「……失礼しまーす……覗きとか、そんなつもりはないですよ~……ふゎっ!?」
 こそこそとドアをあけ、脱衣室を覗いたとたん、たまらず高橋は叫んだ。
 あまりにショッキングな光景に、尿意が暴威をふるいそうになった。
 脱衣室で稼働する洗濯機。
 そのなかに肩まで浸かる恰好で、ペンネがざぶざぶと洗濯されている。
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ここでは、一行空きを挟んで、「場面反復法」が使われています。
洗濯機に入っているペンネの姿を強調するため、時間をさかのぼって、二度くり返しています。


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「だめですペンネさん、でてきちゃ、」
 が、着ぐるみの足もとがつるりとすべった。
「ぺちっ!?」
 ハエ叩きを思わせるいきおいで倒れこみ、ぺしんと顔から床に叩きつけられた。
 もしコマ送り(スローモーション)でそのシーンを正面から再生したとすれば、倒れこむいきおいによってピンクのシャンプーハットが吹っ飛び、後ろ髪が風圧でまくれあがってエリマキトカゲのようになっていく様を確認することができるだろう。
 真横から撮影した映像があれば、ヌグがはじめに踏みだした右足の一歩が、つぎなる一歩を踏みだすために力をこめた刹那に悲劇が起きたことがつぶさに観察できよう。右足にこめられた力はヌグの体を前進させることなく、つるりと床を上滑りし、一瞬にしてその体を水平方向へ倒すことになった。その場でプールの飛びこみをするようなものだ。そして、両手を前につきだした恰好で、濡れた床に顔から着水(ダイブ)した。
 そう、床は濡れていたのだ。ヌグ自身がはなったシャワーによって。
「…………」
 金の延べ棒のように動かない。
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ここでは、ヌグが転ぶアクションを、角度を変えて三回くり返しています。
これはアニメなどで使われる「トリプルアクション」を、小説に応用したものです。(当該ページをご覧ください)


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 洗濯槽が止まったあとも、ペンネは目をぐるぐるとまわしつづけ、ボウフラのようにふらふらになっていた。
「しっかりしてくださいペンネさんっ! 生きてますか!」
「ありえない! ここの住人ありえない!」
「高橋! でていくです!」
 ペンネを介抱しようとするヌグにキッと睨まれ、高橋は「ありえな~い!」と首をふりながら、駈け足で逃げだした。
 ガチッとドアをおしあけた。
             ∽∵∧―∧
 かちゃ、とドアが開かれた。
「ペンネさん、大丈夫ですか?」
 脱衣室からヌグがでてきた。熊からネズミの姿に変身していた。それは着ぐるみというより、ワンピース型をした子供用の寝間着で、ネズミの耳のついたフードがついている。
「ゆ~ん……まだくるくるしてる……」
 ソファで横になっているペンネが力なく応えた。こちらはいつもの横縞(ボーダー)柄のバスクシャツにショートパンツ姿である。
 高橋は、部屋の隅で体育坐りをして小さくなっていた。うつむいた顔に暗い影を落とし、「ありえない……ありえない……」とぶつぶつくり返している。
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ここでも「∽∵∧―∧」の入った一行空きを挟んで、ステープリング・テクニクスが使われております。
私が「経過明示法」と呼んでいるもので、「時間」の流れを明示することで、シーン同士に関連性を持たせるものです。(当該ページをご覧ください)


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「ペンネさん、髪が濡れたまま横になるのはよくないです。髪が傷んじゃいます。それにスキンケアもしないと。」
 そういってヌグが、ネズミのおなかのポケットをごそごそとまさぐった。
 そして根暗(ダウナー)な表情そのままに、
 \ちゃらららっ♪/「ニベアの青缶~。」
 どこぞの猫型ロボットを思わせる調子で、丸い缶をとりだした。
「万能クリームのこれでお手入れするです。」
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第2回の解説で、キャラクターの髪や瞳の色について書いたとき、「リアリティの調整が難しい」という趣旨のことを述べました。
それと似た問題に、キャラクターたちの美容意識の問題があります。

男性向けの作品ですと、女性キャラが化粧をしたりするシーンはあまり描かれません。
女性のみならず、男性キャラが整髪料で髪を整えたり、洗顔フォームで顔を洗ったりすることも、あまりありません。

私が中高生のころは、女性にもてたいがために、整髪料をいろいろと試したり、洗顔フォームを使ったりしていました。(いまじゃ整髪料なんて使わないし、顔を洗うのは石けんですが)
現在の中高生は、私のころと比べればあまり整髪料を使ったりはしないようですが、それでもスキンケアなどには気を配っているでしょう。
男性でもそうなのですから、女性についてはもっといろいろと気を配っているはずです。
メイクをしたり、ネイルをいじったり、むだ毛処理したり……。

しかしマンガやゲームや小説のなかでは、そういう描写があまりされないのです。
私は中学生のころからそれが疑問でした。リアルな生徒であれば毎朝当然していることが、創作のなかでは書かれない。
たとえば、幼なじみの女の子に毎朝起こされることは、現実にありえなくはありません。(……ということにしてください)
しかし、起こされた思春期の主人公が、髪もセットせず、洗顔もしないで家をでるということはありえるでしょうか?
やはり、二次元の世界に、そういう生の現実を混ぜてしまうと、読者が白けてしまうのかもしれません。

上記引用文では、「ニベア」によるケアがでてきます。
ニベアは昔からある日常的なスキンケア用品で、値段も五〇〇円前後と安いのですが、最近では高級クリームに負けない万能クリームとして再評価されているようです。(ネットで検索すると情報がでてきます)

何千円もする高級化粧品を十代の女の子が使っているのを知るとちょっと引いてしまいますが、400円ぐらいの日常的なクリームであれば、むしろかわいい感じがでると思います。
中高生が口紅を塗っていると引いてしまうけれど、リップであればむしろかわいい感じがするのと似ています。


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「先日は七十・八十年代の金田系アクションの系譜を追いましたので、きょうは比較的新しいアニメをご紹介しましょう。まずは、フル三コマ作画で有名な天才アニメーターが監督をつとめ、作画チーフに〝カリスマ〟や〝師匠〟と呼ばれるアニメーターたちを迎えた『電脳コ○ル』から見ていきましょう。注目はこの『ヤサコ走り』と呼ばれる、」
「前もいったけど、ボク、こうゆうの見てもよくわかんないと思うよ。ねぇ、タカハシくんはこのアニメってのくわしい?」
「ペンネさん、あんな出崎演出の止め絵(ハーモニー)みたいな状態の男に話をふってもむだです。顔中が影だらけじゃないですか。もう一人でエンディングを迎えてます。」
「ありえない……ありえない……」
「うーん。」
「では、外連味たっぷりの作画と演出で有名な『フ○クリ』はいかがでしょう。女の子を描くのがうまい実力派アニメーターが作画監督をしてるです。ほかにも、爆発で有名なあの人や、金田系のあの人、ぐにょぐにょした作画の人、お寿司の人、さらには監督が不行届な人まで作画陣に入ってるです。海外での評価も高く、ヌグもMIT時代にこれを観て、本当の才能は日本に集まっていると確信し、渡日を決意したほどで、」
「そうゆんじゃなくて、」
「ではでは、戦闘作画が大暴れしている『ノエ○ン』を、」
「じゃなくて、ボクそうゆう動く絵ってあんま興味ないんだよ。」
「創作の勉強になるですよ!」\打倒京アニです!/
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ヌグがアニメオタクであることを示すシーンです。
当初はこのシーン、実在のアニメーターの名前をだして書いていました。いわゆる「評論」的な部分にあたるので、名前をださないとうまく表現できないと思ったんですね。
しかし、「実在の人名をだすのはちょっと」という意見が入ったので、ぼかす書き方になりました。ここら辺は出版社によっても意見がわかれるようで、OKな場合もあるようです。
とくに本作はガンガンGAという場所で連載していることもあり、GA文庫の基準とガンガンの基準で相違がでることもあるようです。
「金田アクション」とか「出崎演出」というふうに、人名が入ってる個所がありますが、こちらはそのままでOKなようでした。

アニメにくわしい方なら、おそらく上記のぼかした書き方でも、どの人をいっているのかわかるかと思います。
わからない人でも、とりあえず「あぁ、ヌグはアニメオタクなんだな」ということが伝わればいいので、自分としてはこれでよかったと思っています。

また、作品名についても、『電脳コ○ル』というふうに一部伏せ字にしてありますが、こちらは本にする段階で伏せ字が外れるかもしれません。

ちなみに、ヌグの台詞にある「止め絵(ハーモニー)」というものがどんなものかというと、こんな表現のことです。

airのハーモニー


出崎統監督による「劇場版 AIR」より引用しました。
多くの方は、こういう表現を見たことがあるかと思います。
スローモーションをさらにつきつめたもので、出崎監督の代名詞的な表現です。
ラストシーンで使われることも多いため、ヌグの台詞で「もう一人でエンディングを迎えてます。」というふうにいっているわけですね。

なお、上記引用文の最後に、ヌグが京アニがどうのという神をも怖れないことをいっていますが、スルーしてください(^_^)


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「んぐ、なんでも、なんでもないです。」
 ヌグが、リミテッドアニメのようなパカパカした身ぶりで否定した。
「ヌグちゃんってアニメオタクなの?」
「オタク!?」
 二つ結びの髪が巻き笛のようにピューッと吹きあがった。
「ちがいます! 学問的・芸術的にアニメを研究してるです!」
「……でもアニメだろ?」
「有害な発言です! 学問の正当性を担保するものは厳密な方法論(メソドロジー)にこそあり、研究対象が社会的に高尚か否かは問題ではないのです! 芸術と非芸術をわけるものも芸術論(アートロジー)の有無にこそあり、あいまいな感性に寄りかかって作られた映画や文学などよりも、体系的な技術によって演出されたアニメやラノベのほうがはるかに芸術的といえ、」
「タカハシくんはアニメっていうのは見ないの?」
「むろん、芸術だからすばらしいというわけでもありませんが、少なくとも権威主義的にジャンルの高卑(こうひ)を断定するのはまちがいです! 最近になってようやく政治家や学者がマンガやアニメを評価するようになりましたが、なにをいまさら! 半世紀ほどいうのが遅い、」
「アニメかぁ。ちゃんと通しで見たことってあまりないな、勉強ばっかで。」
「ゆえにヌグは、アニメの芸術論(アートロジー)の重要性を説いているです! 工学的にアニメを分析し、作画論を作画し、演出論を演出することこそが有益な、」
「そっか、タカハシくんって勉強するためにここに引っ越してきたんだっけ。だったらここの机でやるといいよ。ボク、あっちの部屋でもう寝るから。」
 ペンネがゆっくり立ちあがった。ヌグは子供の落書きのような顔で、相変わらず作画枚数の少ないパカパカした手ぶりでなにやらわめいていたが、ペンネに「ヌグちゃんいこ? 邪魔しちゃ悪いよ」と背をおされて連れていかれた。
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引用文二行目の、「リミテッドアニメのようなパカパカした身ぶり」というのは、ヌグがアニメオタクであることから使いました。
また、引用文後半の「ヌグは子供の落書きのような顔で、相変わらず作画枚数の少ないパカパカした手ぶりで」というのも同様です。
とくに昔のアニメはパカパカしたものが多かったですね。Aプロ調というか金田系というか……そんなイメージです。

ヌグの台詞の「方法論(メソドロジー)」うんぬんの個所は、私が尊敬する小室直樹の持論を参考にしました。

小室直樹は日本最高の社会科学者の一人であったと思いますが、かなりの変人で、オカルト好きでもあったそうです。
小室直樹の世界」におもしろいエピソードが紹介されています。
「生き血をなめた猫は化け猫になる」という話をどこかからききつけ、学生同士が喧嘩していると、飼い猫を抱いて見学に行ったそうです。そして学生が血を流すと、猫にその血をなめさせた……という話が紹介されています。(もちろん化け猫にならなくて本人は落胆したそうですが)

天才の考えることはよくわかりませんが、本人曰く、方法論がしっかりしていればオカルトも学問たりえるとのことです。
逆にいえば、ちまたで学問とされているものでも、方法論があやふやなものは学問ではない。
現に、小室直樹の社会科学は厳密に体系立って作られていました。学問的には本当にまじめで厳密な人だったのです。

ヌグのいう「芸術論(アートロジー)」という言葉は実際には存在しないと思いますが、いわばアニメやマンガを芸術たらしめるには、方法論のように厳密な芸術論が必要である、といいたいのでしょう。
ただ、「工学的にアニメを分析し、作画論を作画し、演出論を演出する」などといういいまわしは典型的な詭弁で、高橋から「オタク」と指摘されてヌグが焦っていることをあらわしています。

なお、第1回解説で書いた、複数人が同時にしゃべる「クロストーク」がここでも発生しています。カオスな感じが伝わるといいのですが。


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「ヌグはオタクではないのです!」
 顔を真っ赤にした子ネズミの背中が寝室に消え、ドアが閉じられた。
 パタン。
             ∽∵∧―∧
 と、参考書を閉じた。
「だめだ……頭に入ってこない。」
 勉強しようにも、すっかりつかれきってしまっていた。きょうはいろいろありすぎた。
 ため息をつき終わる間もなく、緞帳がおりるようにゆっくりまぶたが閉まっていく。
 眠り目になって、坐卓の上にシャーペンをぽんと放り投げた。
 クリップの突起で止まるまで、それはきっちり百八十度転がった。
 ころりというかわいらしい挙動で。
             ∽∵∧―∧
 寝返りを打つ。
(……ん?)(ここ?)(なんだっけ)(そうだ、勉強の途中で)
 眠りからさめたが、まぶたの緞帳はまだあがっていない。音も自分の鼻息しかきこえない。もう朝かどうかもわからないが、体の内側の重たさから、かなりの時間寝てしまっていたことがわかる。夢を見たおぼえもない。つかれのあまり熟睡してしまったようだ。
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上記引用文では、二つの「∽∵∧―∧」記号をはさんで、ステープリング・テクニクスの「類似連鎖法」が使われております。
くわしくは当該ページをご覧いただきたいのですが、「意味」を連鎖させてシーンにつながりを与える方法です。

第3回の解説は以上になります。

第4回の解説はこちら。